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叔父が亡くなりました

こんにちわ!人間は感情の生き物。このまま何もしないとどうなるでしょう!を共に考えるファイナンシャル・プランナー【日だまり】の山根です。

今でもどこかで冗談言っている気がします・・。

10月21日、叔父が亡くなりました。

82歳。

私が保育園児か、3、4歳くらいのときでしょうか・・叔父の運転する昭和40年代前半の自転車の前に乗せてもらい、その椅子に”うんこ”したと、何年もの間、言いふらされました。

そのとき、叔父はどこにいたのだろうと。

時系列を調べると、当時、叔父は大学生だったかもです。

ネットで調べてみると、波瀾万丈な人生のようでした。

鳥取の田舎のうちの家で生まれ育ち、早くに母親(私の祖母)が亡くなり、中学卒業後、兵庫の伊丹の工場に勤めながら、大阪の高校夜間を卒業したらしいです。

「うちの家ね~、天井を見るとね、夜空が見えたんだよ~、あははは~。」

当時、相当、貧しかったらしいです。

その後、国立の畜産学科に進学し大学病院に勤め、その後、個人病院勤務から医学博士号を取得し、海外研修やら研究所・会社設立やら大学院教授までになりました。

これは、叔父本人から聞いたのではなく、あくまでネットで知った情報です。

本人の仕事のことを間接的に知ったのは、医学博士号を取ったとき、たいそう喜んでうちの親父に報告した際に、そばで聞いていました。

どうも、大学病院勤務のとき、畜産学科卒から医学研究職への道ということもあって、かなり苦労したそうです。

なので、喜びも大きかったと想像できます。

そんな叔父でしたが、私に対しては、仕事のこと、医学のことは何一つ話ませんでした。話す内容は、たわいもない話か、哲学的な話ばかりです。

近年、会ったのは、まず5年前でしょうか、叔父が学会で神戸に来るから神戸三ノ宮で食事しようと、私と家内が誘われた時でした。

飲み終わった後に、帰ろうとしたら、「オレは今から大阪十三の行きつけの店に行く」と言ったことに驚きました。

三ノ宮から大阪?今の時刻(22時くらい)から??

「えっ?ホテルは三宮でしょう?」と確認するも、「そうだよ~」だけ言い残し阪急電車の乗り口に向かったことを今でも思い出します。

それから、数年後、「オレにはやり残した夢がある。自転車で全国回るんだ。」と言い始め、トレーニングを積み、本当に自転車で全国?西日本?回っていました。当時、70代後半だったと思います。

途中、鳥取のうちにも寄りました。元気でした。

そうしているうちに、ガンが見つかりました。

さすがに、おとなしくなるかと思っていましたら、四国にお遍路に行く、歩く」と言い始めました。

実際に、歩いたようです。

驚きました。

このときのこと、手記をワードで私に送ってきました。

その後、「オレは油絵を始める」と描いた絵の画像をメールで送ってきました。

冗談かと思ったら、結構、マジな油絵でした。

へ~と感心していましたら、突然、1ヶ月前に体調不良に。このときのLINE映像電話が最後になりました。

見舞いに行くと言ったら、来なくていいとしきりに反対されました。

今の自分を見せたくなかったのかも知れません。

それから、亡くなる数日前に危篤状態。

そして、令和7年10月21日、息を引き取りました。

ユーモアたっぷりの非常に面白い人でした。

華奢な見た目と違い、タフでした。

うちの親も高齢で、なにせ、家が群馬県にありますので、鳥取から遠くて葬儀には行けず、香典を送り、電報で失礼させて頂きました。

来年、ゆっくりと墓参りにうちの家族で行く予定です。

身内のこととはいえ、叔父の家族には大変お世話になりました。

本当に、有難うございました。

私にはまだまだ叔父の人生から大いに学ぶことがありそうです。

月日が経ちますと忘れてしまいますので、個人的な事ではありますが、備忘録として書かせて頂きました。

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